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Project Eagle 属するryuruの日々を書きつづった日記。 思ったこと、感じたことを記しておきたい。
            
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妹の飼っていたハムスターが昨日死んでしまった。老衰だった。
数日前からヨタヨタとして、そろそろなんだろうなとは思っていた。

こうして小さくとも身近な死を目の当たりにすると、
いつも決まって同じことを思う。"死ぬってどういうことだろう?"

いま生きている世界で積み重ねたもの、残してきたもの。
この世界にある実体は、ゲームのバイナリデータと何が違うのだろう。
現実世界も、オンラインゲーム等々と何ら変わりはない。
ある日突然引退することになって、その存在が消えたとしても、
世界はほとんど何も変わらず時を刻み続ける。
かけがえのない何かがあるということはただの幻想で、
この世に生きていること自体もただのゲームのようなものだ。

死んでしまったらそれで終わり。
だからなんだというのだろうか。
いまは死ぬということが不思議と怖くない。


じゃあ、"生きるってどういうことだろう?"
この世界で創造すること?誰かの役に立って生きること?
如いては人類の発展のために尽力することなのだろうか?
意味のないものだとは思わないが、生きていることそれ自体も、
オンラインゲームの「ヒマつぶし」と大して変わらないんじゃなかろうか。
勝手に目的を決めて、お金を稼ぐのも、ゆっくりペースでのんびりやるのも。
何をするのも、考え方も、どういう生き方をするのかも全部個々の自由。
そういう意味では生きていること自体をもっと楽しんだほうがいいのだが。


もし自分が死んだときには、周りの人には悲しんでほしくない。
できれば葬式もしないでほしい。最後まで静かにさせてもらいたい。
ああ、ヤツはやっと生の苦しみから解放されたのだなと思ってほしい。
それで十分、葬儀なんかで無駄な金を使うことはやめてほしい。
その分もっと、自分の人生を楽しく生きることに労力を注いでほしい。

まあそんなことを書いたところで、家族も誰もこれを知らないのだけど
死について考えるということは、生きているということの裏返しである。


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