Project Eagle 属するryuruの日々を書きつづった日記。
思ったこと、感じたことを記しておきたい。
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自分では誰かのために生きているような気がしていても、
本当は誰かの都合のいいように利用されているんじゃないかと思うことがある。
誰かを変える力があって、誰かのために生きること、できることがある。
そう思えることは素晴らしいことなんだけど、違う方向へ歩き出す人間を見送ると淋しくなる。
彼等は確かに変わることができた。これからは手助けしなくても、ひとりで飛べるだろう。
でも、結局その人間にとって、オレは都合のいい存在でしかなかったんだろうか。
誰かの助けになるように生きるのがキライなわけではない。
でもその思いの根本にあるのは、誰かのためにと信じ続けて行動していないと、
相手に嫌われたり、飽きられたりするような気がして怖いからだ。
オレは自分にいつも言い聞かせている強い意志を持つような、強き生物ではなく、
本当は自分に顔を向けて欲しくて、誰かに構って欲しいただの淋しがり屋でしかない。
誰かのためになればと思って、生きていくことがつらいわけでも、やめたいわけでもない。
ただ反面、自分のために生きてくれる人がいない気がすることを淋しいと感じる。
もしかしたら、自分が鈍感すぎて気づいていないだけかもしれないが、
そう思ってしまわざるを得ない自分の心の狭さが、弱さであり嫌いな部分だ。
結局こうして考えても、どうしたいのか、どうしてほしいのかも分からないから、
今日も鏡を通した自分に、自分のために生きろと言い聞かせ、答えを探して夢に逃げる。
本当は誰かの都合のいいように利用されているんじゃないかと思うことがある。
誰かを変える力があって、誰かのために生きること、できることがある。
そう思えることは素晴らしいことなんだけど、違う方向へ歩き出す人間を見送ると淋しくなる。
彼等は確かに変わることができた。これからは手助けしなくても、ひとりで飛べるだろう。
でも、結局その人間にとって、オレは都合のいい存在でしかなかったんだろうか。
誰かの助けになるように生きるのがキライなわけではない。
でもその思いの根本にあるのは、誰かのためにと信じ続けて行動していないと、
相手に嫌われたり、飽きられたりするような気がして怖いからだ。
オレは自分にいつも言い聞かせている強い意志を持つような、強き生物ではなく、
本当は自分に顔を向けて欲しくて、誰かに構って欲しいただの淋しがり屋でしかない。
誰かのためになればと思って、生きていくことがつらいわけでも、やめたいわけでもない。
ただ反面、自分のために生きてくれる人がいない気がすることを淋しいと感じる。
もしかしたら、自分が鈍感すぎて気づいていないだけかもしれないが、
そう思ってしまわざるを得ない自分の心の狭さが、弱さであり嫌いな部分だ。
結局こうして考えても、どうしたいのか、どうしてほしいのかも分からないから、
今日も鏡を通した自分に、自分のために生きろと言い聞かせ、答えを探して夢に逃げる。
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なんだかんだいって、まだたったの25回しかレッスンしていないんだな。
いよいよ来週で本締めの練習。先生の前で弾く分には、申し分のない腕前。
しかしこれが発表会になったら、同じ平静でいられるだろうか?
月末まではまだ時間があるような気がするけど、きっとあっという間だろう。
エレクトーンを演奏するというのは、本当に楽しい。
いよいよ来週で本締めの練習。先生の前で弾く分には、申し分のない腕前。
しかしこれが発表会になったら、同じ平静でいられるだろうか?
月末まではまだ時間があるような気がするけど、きっとあっという間だろう。
エレクトーンを演奏するというのは、本当に楽しい。
エレクトーンを弾く時、いつも同じテンポの曲のはずなのに、
スピードが速くて身体がついていかないときがある。
もちろんその逆も然りで、速いと思っていテンポが意外と遅くて拍子抜けすることもある。
体調の変化や、弾き始めるまでに何をしていたかによっても変わるんだろうけれど、
ここまで時間の速さの違いを感じると、自分自身の時間の流れというものを実感する。
最近は正念場のため、遊ぶ時間を全て切り捨てているからか、
自分自身の時間の流れがゆっくり過ぎていると感じている。
それはすなわち、あっという間に時間が過ぎていくことを意味していて、
自分の感覚ではいつもと同じ時間しか過ごしていないつもりなのに、
実際の時間はそれ以上の速さで動いていたということだ。
昔から、こんなことを薄々感じてはいたんだ。
だからオレは、常に何かを急いでいるんだろう。
時間を追ったり、時間に追われるのではなく、時間を待つために。
それでもやはり、できることなら、もう戻らない時間を嘆いて悲しみたくはない。
大切なのは速さについていくことではなく、どう過ごすかだということは分かっている。
ジムに向かう道で通りかかる近所のT字路には、いつも花束が手向けられている。
そこにはバイクとバスの衝突事故の目撃者を呼びかける看板が立っていて、
事故が起きた日は去年の8月だということを伝えている。
こんな何の変哲もない小さな交差点なのに、そんな大事故が起きたとは思えないが、
それがあったことは確かめずとも真実で、いくつもの花束は毎週新しいものになっている。
非常に近い時期に、それもこんなに普通の場所で亡くなった人がいたと思うと、
生と死を分けるものが何であるかということを、毎回考えてしまう。
偶然か、運か、それとも運命だろうか。
もしかしたらオレの見るはずだった夢は、いま君が見ているのかもしれない。
君の分まで生きるよ、という義理もないし、そんな自信もないけれど、
この場所で旅立った人間がいるということは、決して忘れることはないだろう。
そこにはバイクとバスの衝突事故の目撃者を呼びかける看板が立っていて、
事故が起きた日は去年の8月だということを伝えている。
こんな何の変哲もない小さな交差点なのに、そんな大事故が起きたとは思えないが、
それがあったことは確かめずとも真実で、いくつもの花束は毎週新しいものになっている。
非常に近い時期に、それもこんなに普通の場所で亡くなった人がいたと思うと、
生と死を分けるものが何であるかということを、毎回考えてしまう。
偶然か、運か、それとも運命だろうか。
もしかしたらオレの見るはずだった夢は、いま君が見ているのかもしれない。
君の分まで生きるよ、という義理もないし、そんな自信もないけれど、
この場所で旅立った人間がいるということは、決して忘れることはないだろう。
発表会までにはまだ少しあるけれど、
もう直すところはほとんどなく、
ミスタッチを減らすことが課題になる。
今日は受け付けの人に聴いてもらうことになったが
やはり人前で弾くということには緊張してしまう。
この緊張に少しでも慣れるということにも
気をつけて練習すべきなんだろう。
もう直すところはほとんどなく、
ミスタッチを減らすことが課題になる。
今日は受け付けの人に聴いてもらうことになったが
やはり人前で弾くということには緊張してしまう。
この緊張に少しでも慣れるということにも
気をつけて練習すべきなんだろう。