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「おれは・・・、おれはまだ・・・、人間のままでいたい!―――」
大量の涙をぼろぼろとこぼしながら、彼はそう叫んだ。
最後の言葉は、勢いに任せて吐き捨てられたようだった。
言葉にならないほどの嗚咽に混じった叫び声は、私の心を揺さぶるように響いた。
それはまるで、時が止まったかのような錯覚を生み、私の思考は一瞬、停止した。
これが彼の心からの願い。何にもとらわれず、自由に道を選びたい。
そんな君の本当の想いが、やっといま聞けた。
いままで君のことをどこかで疑って、信じ切れなかった自分が情けない。
君にとって一番大切なものが何だったのか、ようやくわかった。
彼自身もこの状況下になって、騙し隠し続けた心に気づいたのだ。
もっとはやく、その言葉を聞かせてほしかった。
そうすれば、君がこんなに傷つくことはなかったのに。
そんなことを考えたのは一瞬だったのに、その一瞬はとても長い時間に思えた。
彼をしっかりと掴んでいた力強い手は、その声に驚いたように一瞬緩んだ。
そして、その男の腕からすり抜けるように、彼は私たちの元にすべり込んできた。
潮の匂いがする港町には、一年を通じてさまざまな風が吹きつける。
その街の塔の上から、風の吹くほうを見つめ、この先の天候をじっと見定める。
どんな嵐が来ようと、どんな吹雪が襲おうと、彼がその役目を離れることはなかった。
その優しい眼は、いつも遠い地平や水平線を見つめていた。
幼いころから、ずっと彼の居場所に憧れていた。
街を見下ろし、空を眺め続けられる場所がうらやましかった。
手の届かないあの場所へは、どうやって行くんだろうと、いつも疑問に思っていた。
天気が悪くなる時は、彼はまっさきに僕に伝えてくれた。
そのとき港から吹いた風は生暖かくて、水平線の暗雲がこちらに来るだろうことがわかった。
南南西から吹く強い風は、これから大雨が降る兆候だと教えてくれた。
北から冷たい風が吹きはじめたら、雪が降る季節になったことを、いち早く知らせてくれる。
何年も、この街を守るためにそうしてきたんだそうだ。
そしてこれからも、僕らの街のために。
僕が十六になったいまでも、彼はあの場所で空を見守り続けている。
昔に比べて表情も穏やかになり、だいぶ年をとったことが見てわかるのに、
その錆びた身体を磨いてやることもできず、ただ遠くから彼を見守ることしかできなかった。
その風見鶏があることすら、みんなは忘れてしまったのだろうか。
いまでは誰ひとり、空を見上げるものもいない。
それは僕に翼があればいいのにと、はじめて思った時だった。
パンや牛乳を届けたついでに、必ずいつも楽しい話を聞かせてくれる。
その日学校であったことや、いま流行っている遊びとか。
知らないことばかりで僕がうれしそうにすると、君もうれしそうな顔をする。
そして、暗くなるまで僕の横でシュクダイをやって、
「また明日な!」 って言って帰っていくんだ。
元気な君を見ていると、僕も元気になれて、
また明日が来るのを待つ長い夜がはじまる。それが当たり前だった。
僕はここからいつでも抜け出せたけど、君が来てくれるから離れなかったんだ。
それに僕は、ひとりで生きていけるほど強くはなかった。
そんなある時、僕は君にたずねた。
-僕を、君のところに遊びに連れて行ってくれないかな。-
小さな声だったから、伝わらなかったかもしれない。
それでも神様は、僕に気持ちを伝える力をくれた。
少し冗談のつもりだったけど、君は少し驚いたような顔をしたから、
きっと僕の想いは、伝わったんだと思う。
それから毎日、僕は君を待ち続けた。
最初はかぜでもひいたのかな、とあまり気にしていなかった。
それでもそんな日が長く続くと、さすがに僕は心配になった。
パンと牛乳を楽しみにしていたのに、君の話をもっと聞きたいのに。
いつもの時間になると、君の匂いを近くに感じた。
病気で寝ているわけじゃないようなので、少し安心した。
だけど君は、もう僕の前には現れなかった。
僕のことを、忘れてしまっているわけではないと思う。
じゃあ僕のことが、嫌いになってしまったんだろうか。
そう思いはじめたら、どんどん悲しさばかりつのってきて、
涙がとまらなくて、もうこのまま飢え死にしてしまえばいいと思った。
いっそ死んでしまえば、何もかも忘れてしまえるのに。
そう考えて目をつぶったのに、朝がきても忘れられなかった。
僕があんなことを言わなければ、ずっと前のままでいられたのかな。
僕はずっと幸せだったのに、欲張りになりすぎたのかな。
神様はどうして僕に、想いを伝えさせたんだろう。
そんな余計なこと、してくれなくてよかったのに。
来る日も来る日も、僕はずっと考え続けた。せめて僕に理由を教えてほしい。
きっと君のところへは行ってはいけないんだろう、だから僕はここで待っているしかない。
けれども僕は、この狭いダンボール箱の中では、いつまでも生きられなかった。
空腹が、僕の胃を痛くしているのがわかった。
大切な僕の友達へ。
君はいま、どうしていますか。
どれだけ山々を超えただろう。はるか遠い、北の台地にやってきた。
火成岩の荒々しい岩に囲まれ、薄く雪をかぶった極限の地だが、
雪解けでできた小さな池には、高い空が美しく映っていた。
空気はとても冷たく、呼吸をするたび肺が冷えるのを感じる。
それでも太陽は強く照りつけており、身体が凍えきることはない。
氷で縁どられた池には生物の気配はなく、
長い間積もったままの固い雪には、足跡ひとつついていない。
聞こえるのは、時折吹く風が、耳をかすめゆく音だけ。
俺は自らの意思で、ここに繋いでくれと言った。
決して断ち切ることのできない強い力で。
二度とこの翼に、風をつかませてはいけない。
刺さるように冷たい風が吹きぬけた。
これから長い時を過ごすことになる。
その時が少しでもはやく訪れることを、待ち続ける。
そして次に涙を流すのは、その時だろう。
渦巻く空気が、頬に涙の痕を残した。
君を守るために強さを求め続けた。
しかし本当の強さは、力だけではなかった。
確かに俺に必要だったのは、心の強さ。
心の弱さに気づかぬよう、真っ直ぐに突き進んでいた。
もし心が強ければ、心を鍛えることができていたら、
あの頃のように、また一緒に笑って過ごせたのかもしれない。
それでもこうするしかなかった。大切なものを守り続けるために。
これ以上何かを傷つけて生きることはできなかったんだ。
結局、最後は人間らしい言い訳で逃げたんだろう。
俺はただ、君のために生きていたかった。
その竜の眼から、ひと筋の涙が流れた。
それはあの日と同じ、青く高い空の下だった。
朝の通勤ラッシュに揉まれながら、オレは今日も電車の窓越しに外を眺めた。
いつもと同じ朝のはずなのに、いつもとは見える景色が違う感じがした。
朝陽に照らされた木々の葉は、活き活きとした緑色に輝き、風で揺らぐ。
この都会の空はいつもより青い、なんてことはないが、薄雲を越えて来る光は強く感じる。
駅で電車のドアが開くたび、夏の朝のような、陽のにおいを含んだ空気が入り込む。
そういえば、もう梅雨入り前か。感じる違いはおそらく、季節の移り変わりによるものだろう。
だけど、もっと違う何か、まるで、このいつもの景色が久しぶりのような、そんな気がする。
長くとはいわない、少しの間だけ、この場所から離れていたような、
休みが終わって、また日常に戻ってきた少し切ない気分のような。
ひと晩、違う時、違う世界を過ごして、記憶がないまま、もとの日常に戻ってきたのかもな。
もしかしたらSF小説の読みすぎかもしれないけど、そう考えたほうが、面白いじゃないか!
それとも実は、まわりの景色が変わったんじゃなく、変わったのは、オレ自身の方だろうか。
いつも変わろうと、願い続けた結果、少しずつ本当に変わりはじめたのかもしれない。
何気ない日常だなんて考えるのは面白くないから、変化は自分から願い、求め続けていた。
たった一日で、それを感じられるほどオレは変わったんだろうか。
昨日までは気づかなかった日焼けのあとは、腕にはっきりと色濃く出ている。
そして、靴はきつくなったように感じる。新しい靴を買わなきゃいけないな。
やっぱり何かが、変わったんだ。そう思っているほうが、きっと楽しく生きていけるはずだ。