Project Eagle 属するryuruの日々を書きつづった日記。
思ったこと、感じたことを記しておきたい。
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金曜にリリースした帰り道、なんだかふっと実家に帰りたくなって、親父に電話をかけた。
なんだか帰るって言ったら嬉しそうな素振りだったので、じゃあせっかくだし、と帰ることにした。
なんだかんだいって帰ってきてよかったな。意外と早く着いたし、長野ってのは結構近い。
自分がいま少しでも夢見ていることを打ち明けたり、夢についてや仕事について、
社会についてと、最近皆に聞きまわっている考え、思いを伝えたら、特に反論などもなかった。
考えがあるなら、生きたいように生きればいいよということだろうか。
もし本当にやりたい、これでいくと思えることが見つかったら、堂々と親に伝えたい。
それが、この考えに対して甘い、夢の見すぎだと言われなかったことへの答えだと思う。
実家でエレクトーンを触っていると、静かな環境のせいなのか、それともこの空気のせいか、
気持ちが落ち着いて練習にも熱が入る。そして何より驚いたのが、この場所にいると、
曲のひらめき量が半端じゃなく多い。エレクトーンを弾くにあたって、この家の環境は悪くない。
なんだか帰るって言ったら嬉しそうな素振りだったので、じゃあせっかくだし、と帰ることにした。
なんだかんだいって帰ってきてよかったな。意外と早く着いたし、長野ってのは結構近い。
自分がいま少しでも夢見ていることを打ち明けたり、夢についてや仕事について、
社会についてと、最近皆に聞きまわっている考え、思いを伝えたら、特に反論などもなかった。
考えがあるなら、生きたいように生きればいいよということだろうか。
もし本当にやりたい、これでいくと思えることが見つかったら、堂々と親に伝えたい。
それが、この考えに対して甘い、夢の見すぎだと言われなかったことへの答えだと思う。
実家でエレクトーンを触っていると、静かな環境のせいなのか、それともこの空気のせいか、
気持ちが落ち着いて練習にも熱が入る。そして何より驚いたのが、この場所にいると、
曲のひらめき量が半端じゃなく多い。エレクトーンを弾くにあたって、この家の環境は悪くない。
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折り紙戦士 通称:"フォルダー"。
折り紙の好きな控えめな小学生が、突然自らの折り紙に命を吹き込むことができるようになる。
襲い掛かる悪に対して、彼が折りあげた仲間の力によって、果敢に立ち向かう。
やがて目覚め始めた折り紙戦士、フォルダーたちが集結、この世界を守るため戦い続ける。
漫画化すると流行ることってたくさんあるけど、折り紙はまだ漫画化されてないと思うんだ。
きっとこの折り紙好きな少年少女は、おとなしめな子。(絶対逆毛ではないだろう。)
そんな子たちが活躍するような漫画があったら、結構面白いんじゃないかな。
と、会社の帰りに突然思ったんだ。
個人的にはゲームのネタとして、折り紙ってのがあったらおもしろいなあ。
どうすれば折り紙をゲームにできるんだろう、と考えていたら、こんな話がふくらんだ。
こんな折り紙戦士のゲームをDSで作れたら、なかなかいけると思うんだけど。
敵を倒すと展開図が手に入って、その展開図の折り目をもとに・・・
って、なんて難易度の高いパズルゲームだろう!!
きっと折り紙は要素として。アクション系のほうが子供受けしそう。
折り紙戦士、誰かに漫画かゲームにしてほしいな。
帰ったら妹が自室で泣いていた。
別に失恋したとか、とりわけつらいことがあったというわけではないらしい。
何でか分からないけど、涙が止まらないんだって。悲しいわけでもない、痛いわけでもない。
生理の波で、気持ちがブルーだとは聞いていたし、多分そのせいだそうだ。
気楽に少し話して、オレなりに励ましたら、何かすっきりしたと言ってくれた。
ひとりだったら思いつめて、何したか分からない。話ができてよかった。
そういってもらえると、オレも一緒に住んでいた意味もあったと思うし、
そうして誰かのために居られることは、オレにとっての存在意義でもある。
オレにとってこうして、弱音を受け止めてくれる存在はいない。
いままでどんなにつらいなと思うことがあっても、そのつらさを呟くことはあっても、
真正面からすべて頼れる、ぶつけられる、そんな相手がいない。
いつだって、いまだって、どうしたらいい、どうすればいい、いつも悩んでいて、
些細なことでもへこんで、これからのことが不安で、どのタイミングで逃げようと考えて、
そんな弱くて情けない自分をさらけて、受け止めてもらいたい。
でも、すでにオレはもうそんなものは当てにしていない。
そんな存在が欲しいと思う気持ちに嘘はないが、それを待つには大人になりすぎた。
誰かがつらいとき、悲しい時、受け止めてやる側にもう居なければならないのだから、
護るためには、オレはもっと強くならなければいけないんだ。
オレの気持ちを必ず受け止めてくれるのは、空想の中の少年。
つらいとき、悲しい時、どうしたらいいか。ポジティブの塊である、彼の身になって考える。
彼の存在は、オレにとっての唯一の分身であり、護ってくれるただ一人の人物。
しかし彼の兄は、オレと同じように強さを求め続け、やがてその欲望にのまれてしまう。
その強さとは、誰かを護りたいと思う心。彼にとっての護るべき存在は、弟であったが。
オレも彼と同じ道を歩いているんだろうか。境遇はあまりにも想像と近い。
やがて強さを求め続けて、自分自身を壊してしまうのだろうか。
そうならないようにと、少年の兄はオレに警告してくれているのかもしれない。
それでもオレは、泣きたい時やつらい時、いつでも助けになれる存在でありたいと願う。
別に失恋したとか、とりわけつらいことがあったというわけではないらしい。
何でか分からないけど、涙が止まらないんだって。悲しいわけでもない、痛いわけでもない。
生理の波で、気持ちがブルーだとは聞いていたし、多分そのせいだそうだ。
気楽に少し話して、オレなりに励ましたら、何かすっきりしたと言ってくれた。
ひとりだったら思いつめて、何したか分からない。話ができてよかった。
そういってもらえると、オレも一緒に住んでいた意味もあったと思うし、
そうして誰かのために居られることは、オレにとっての存在意義でもある。
オレにとってこうして、弱音を受け止めてくれる存在はいない。
いままでどんなにつらいなと思うことがあっても、そのつらさを呟くことはあっても、
真正面からすべて頼れる、ぶつけられる、そんな相手がいない。
いつだって、いまだって、どうしたらいい、どうすればいい、いつも悩んでいて、
些細なことでもへこんで、これからのことが不安で、どのタイミングで逃げようと考えて、
そんな弱くて情けない自分をさらけて、受け止めてもらいたい。
でも、すでにオレはもうそんなものは当てにしていない。
そんな存在が欲しいと思う気持ちに嘘はないが、それを待つには大人になりすぎた。
誰かがつらいとき、悲しい時、受け止めてやる側にもう居なければならないのだから、
護るためには、オレはもっと強くならなければいけないんだ。
オレの気持ちを必ず受け止めてくれるのは、空想の中の少年。
つらいとき、悲しい時、どうしたらいいか。ポジティブの塊である、彼の身になって考える。
彼の存在は、オレにとっての唯一の分身であり、護ってくれるただ一人の人物。
しかし彼の兄は、オレと同じように強さを求め続け、やがてその欲望にのまれてしまう。
その強さとは、誰かを護りたいと思う心。彼にとっての護るべき存在は、弟であったが。
オレも彼と同じ道を歩いているんだろうか。境遇はあまりにも想像と近い。
やがて強さを求め続けて、自分自身を壊してしまうのだろうか。
そうならないようにと、少年の兄はオレに警告してくれているのかもしれない。
それでもオレは、泣きたい時やつらい時、いつでも助けになれる存在でありたいと願う。
いくつかの花の咲く頃には、思い出がある。あじさいも、例外ではない。
あじさいの咲く頃になれば再び思い出すだろうと、宣言したとおりに。
また今年もあじさいの頃合となり、そろそろまた鎌倉にでも出かけてみようかと考えている。
あの頃は自由な時間がいくらあっても、遊んでばかりで無駄に時間を過ごしてしまっていた。
いまでは無駄に過ごさないかというと、そうではないが、違う意味で無駄な過ごし方だった。
そんな日々でも、あの日見た相模湾を望んだあじさい寺は、忘れられない瞬間。
それでもいまのオレは、この湘南の地に行くために、もう誰かを誘うことはしない。
いつも自分ばかりが誘ってばかりで、もういい加減うんざりしている。
誘ってくれと言っているにもかかわらず声はかからない。それは、オレが悪いのか?
オレは君たちと一緒に時間を楽しい過ごしたいと思ったからこそいつも声をかけた。
けれど、いつも誘うのはオレのほう。誘ってもらうことなんて、数えるほど。せつねぇ…。
特別なことなんかなくても、いつでも声を掛け合えると思ってたのはオレだけだったんだろうか。
本当に極端な話、誘うに値しないヤツなんだと思われているとしか思えない。
またオレが誘えばきっと、ついてきてくれるだろう。いつでも遊べるだろう。
でも、その度に何度も別れ際に、思いを伝えてきたにもかかわらず、
自分に対して音沙汰ないと言うことが、どれだけ哀しいことであるか。
だからオレは、ひとりで出かける。誰の迷惑にもならない、自分の重荷にもならない。
決して悲観的にはなっていない。ただ、うんざりした。いつかはと信じ続けたけど、あきらめた。
自慢の広い心を、いつまでも持ち続けられるわけじゃないことを知った。
こんなことを書く程度で、何が広い心だ、と思うときもある。
でも、ここまでにずいぶんと長い間待ち続けてきた結果が、いまの正直な思い。
あじさいの咲く頃が、嫌な思い出になってしまわないように、
いつまでも懐かしめるよう、新しく思い出をつくりに行こう。
あじさいの咲く頃になれば再び思い出すだろうと、宣言したとおりに。
また今年もあじさいの頃合となり、そろそろまた鎌倉にでも出かけてみようかと考えている。
あの頃は自由な時間がいくらあっても、遊んでばかりで無駄に時間を過ごしてしまっていた。
いまでは無駄に過ごさないかというと、そうではないが、違う意味で無駄な過ごし方だった。
そんな日々でも、あの日見た相模湾を望んだあじさい寺は、忘れられない瞬間。
それでもいまのオレは、この湘南の地に行くために、もう誰かを誘うことはしない。
いつも自分ばかりが誘ってばかりで、もういい加減うんざりしている。
誘ってくれと言っているにもかかわらず声はかからない。それは、オレが悪いのか?
オレは君たちと一緒に時間を楽しい過ごしたいと思ったからこそいつも声をかけた。
けれど、いつも誘うのはオレのほう。誘ってもらうことなんて、数えるほど。せつねぇ…。
特別なことなんかなくても、いつでも声を掛け合えると思ってたのはオレだけだったんだろうか。
本当に極端な話、誘うに値しないヤツなんだと思われているとしか思えない。
またオレが誘えばきっと、ついてきてくれるだろう。いつでも遊べるだろう。
でも、その度に何度も別れ際に、思いを伝えてきたにもかかわらず、
自分に対して音沙汰ないと言うことが、どれだけ哀しいことであるか。
だからオレは、ひとりで出かける。誰の迷惑にもならない、自分の重荷にもならない。
決して悲観的にはなっていない。ただ、うんざりした。いつかはと信じ続けたけど、あきらめた。
自慢の広い心を、いつまでも持ち続けられるわけじゃないことを知った。
こんなことを書く程度で、何が広い心だ、と思うときもある。
でも、ここまでにずいぶんと長い間待ち続けてきた結果が、いまの正直な思い。
あじさいの咲く頃が、嫌な思い出になってしまわないように、
いつまでも懐かしめるよう、新しく思い出をつくりに行こう。
君は夢や目標を持っているか?
最近人と話をすると、必ずこういう質問をしている。
質問をせずとも、自然とそういう会話の流れになることもある。
オレには、漠然とした大きな夢、エレクトーンの先生として教えることがしたい。
プレーヤーとして、エレクトーンや音楽の楽しさを伝えたい。そんな夢がある。
その夢が叶うかどうか分からないし、それで幸せになれるともわからない。
エレクトーン講師は一桁の給料しかないとも聞く。ましてや男性講師など1%未満だろう。
本当に叶った時、それ一本で仕事ができるかというと、それもわからない。
けど、その夢のために、少なくとも今できることを始めている。
漠然とした大きな夢までの間に必要な目標、講師資格であるエレクトーン5級取得。
いまはそれに向けて勉強をしていることが、今を支える生きがいのような気がしている。
大きな夢が叶うかはともかく、目前の目標を立てて、それに向かって走るのは純粋に楽しい。
いまの仕事に目標や夢をもてないから、余計にそういう風に思うのかもしれない。
夢に必要ないくつもの目標をクリアしていって、はじめて夢に手が届く段階になる。
いまはその目標が達成できるかどうか、それがオレの夢への試練。
そんなに大きくない目標に対して、どれほど熱意を持って進んでいけるか。
本当にやりたい夢なら、忙しくとも、これらの目標を達成できるはずだろう?
いくつもの目標をクリアしていく過程で、これは本当の夢じゃないと気づくかもしれない。
でも、何かに向かって努力する、それがもしかしたら、オレの幸せなのかもしれない。
君は夢や目標を持っているか?
そのために君は何をしている?
オレは、幸せになるために夢や目標を持つ。
君は、これからいったい何がしたいんだ。
最近人と話をすると、必ずこういう質問をしている。
質問をせずとも、自然とそういう会話の流れになることもある。
オレには、漠然とした大きな夢、エレクトーンの先生として教えることがしたい。
プレーヤーとして、エレクトーンや音楽の楽しさを伝えたい。そんな夢がある。
その夢が叶うかどうか分からないし、それで幸せになれるともわからない。
エレクトーン講師は一桁の給料しかないとも聞く。ましてや男性講師など1%未満だろう。
本当に叶った時、それ一本で仕事ができるかというと、それもわからない。
けど、その夢のために、少なくとも今できることを始めている。
漠然とした大きな夢までの間に必要な目標、講師資格であるエレクトーン5級取得。
いまはそれに向けて勉強をしていることが、今を支える生きがいのような気がしている。
大きな夢が叶うかはともかく、目前の目標を立てて、それに向かって走るのは純粋に楽しい。
いまの仕事に目標や夢をもてないから、余計にそういう風に思うのかもしれない。
夢に必要ないくつもの目標をクリアしていって、はじめて夢に手が届く段階になる。
いまはその目標が達成できるかどうか、それがオレの夢への試練。
そんなに大きくない目標に対して、どれほど熱意を持って進んでいけるか。
本当にやりたい夢なら、忙しくとも、これらの目標を達成できるはずだろう?
いくつもの目標をクリアしていく過程で、これは本当の夢じゃないと気づくかもしれない。
でも、何かに向かって努力する、それがもしかしたら、オレの幸せなのかもしれない。
君は夢や目標を持っているか?
そのために君は何をしている?
オレは、幸せになるために夢や目標を持つ。
君は、これからいったい何がしたいんだ。